マイケル追悼と、ひとりごと蛇足
マイケル・ジャクソンの歌とダンスが好きでした。珠玉のショート・フィルム達に感謝と敬意と哀悼の意を。ハーブ・リッツが監督した美しいモノクローム・フィルムの世界で、ナオミ・キャンベルと官能的に舞った「In The Closet」が一番のお気に入りかな…安らかに、マイコー。
急逝に関する報道もいくつか目にしましたが、やはりマスコミにとっては
「優れたエンターティナー」 <<<「刺激的なゴシップを次々に提供してくれる美味しいネタ」
だったんだなーと言うことを改めて実感。「『スリラー』は史上最高のセールスを記録」等々の偉業も、「しかし、彼には一方で常に醜文の陰が…」と続く枕詞でしかなかったようです。数々のゴシップが事実だったかどうかはともかく、「普通じゃない」「奇行」「変人」等のレッテルを当代一の人気歌手に貼りまくることはマスコミの皆さんに取って最高に楽しかったんだろうなぁ、ということは推察できます。「世間でチヤホヤされてるけど、こいつただの変人じゃんw」と安心したり、優越感に浸りたい人たちを大いに満足させたことでしょう。「普通」って素敵ですね。億の単位でアルバム売ったところで「おかしい人」ですもんね。「特に何も残していないけど普通にまともな人」の方が全然マシですよね。
かつて自分の絵を見たとある人に「この絵は普通じゃない、おかしい」と嘲笑されたことがあります。その人も絵描きさんでしたが、自分の絵が「普通」であるということには絶対の自信を持っているようで、それを誇らしく感じているようでした。僕の「普通じゃない絵」はその人にとって相当に愉快なモノだったようで、その後しばらく「あの絵はやっぱりおかしいよ、ヘンだよ」と事あるごとに笑いのタネにされたものです。
「普通」ってそんなに大切ですか?
「普通じゃない」存在を見下ろして「普通な」自分に満足するのは気持ちいいですか?
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コメント
マスコミが特定個人をことさらおかしくとりあげる、しかもそれが著名人や成功者であるほどその傾向が強いのは常ですね。
著名人がその手の扱いを受けるのはある意味有名税みたいなものはあるでしょうが、個人対個人ではどうかなって思いますね。
くだんの絵描きさんがどういう状態だったかはわかりませんが、他人を自分より違う、下、と見ることによって自分のアイデンティティを保てる人がいますからそんな感じじゃなかったんじゃないかな。
個性的なものはいくらでもあっても「普通」ってなに?って思いますね。
お絵描きのようなものは、なおさら「普通」って定義できないと思うのだけど。
先に書いたように、他人と比較することでしか自分を満足できなかったちょっと悲しい人、じゃなかったんでしょうかね。
投稿: みささ | 2009年6月29日 (月) 08時19分
久々にリミッター外して筆を暴走させてみたら、
何とまぁ青臭いテキストw
全てはマイコーへの愛ゆえです。
○みささくん
自分自身が「自分はクラスのみんなと同じように出来ない人間なんだ」というコンプレックスに囚われた思春期を送っていたからでしょうか、マイケルvsマスコミという構図ではどうしても前者に肩入れしたくなるのですよ。勢いで絵云々の話を書いてしまいましたが、一つの例え話と考えていただければ、と。
投稿: ほづみないき | 2009年6月29日 (月) 23時16分
マイケルの訃報は札幌のホテルで知りました。
ファラフォーセット、マイケルと、自分の青春時代が過去になっていくのが少し寂しいです。
自分にない、何か輝くものを見てしまったのでしょう。
その人の個性が怖い、羨ましいから、もっともらしい言葉でつぶそうとする。
自分の無能を認めたくなく、見栄だけで気持ちを保っている、プライドの無い人です。
投稿: may@osa | 2009年7月 1日 (水) 20時11分
○may@osaさん
北海道遠征は恒例のアレでしょうか?お疲れ様です。ファラ・フォーセットの訃報はマイケルの陰に隠れてしまってちょっと気の毒でしたね。ジッパーを下ろしたダイビングスーツから覗く胸の谷間にドキドキした、遠き少年の日の思い出…。
マイケル・ジャクソンもいろいろと問題のある人でしたし、批判されるのは仕方ないと思います。ただ、「世界のトップスターって言っても所詮こんなもんなんだよな」と気持ち良くなったり安心したりするための批判はちょっと。
投稿: jほづみないき | 2009年7月 3日 (金) 00時44分